Aさんが泣いてる(バーンスタイン本の訳が酷くて)

本稿は東京堂出版の近刊ブルース・バーンスタイン著メンタルマジックUNREALを買ったものの文章が読みづらくて困っている方や、手順が再現出来ない(特に『臨床超能力』)という方のために書かれており、冒頭のこの説明的なパラグラフはそういった方が検索したときにヒットしやすいようにこそ設けられたものである。

  

 

知り合いの人がUNREALの『臨床超能力』って手順がどうなっているのかわからないと困り果てているのを目にしたのでAさんにそれってどんな手順ですかと聞いてみたところ待ってね確認してみるねという返事をもらった、のが4月の末頃の事でそれからもう3ヶ月は経とうかというのに音沙汰がなく不審に思ってAさんの家を訪ねてみるとAさんは死んでいた。

そのAさん(の死体)の曰く、面倒なところが省かれてるとかニュアンスが殺されているとか理論や台詞の意味が逆になっているくらいならともかく、いやそれも酷いけどそれ以前にそもそも手順が成立しないほどのものが来るとは想定外でこれはちょっとあまりに酷くないですか、とのことだが俺はこの時点では内容を見ていなかったので、泣きつかれても困る。

Aさんは当該トリックについて『原文:東京堂訳文:Aさん訳文』の比較資料まで作っていて、これはどうも東京堂に苦情を言うために作製したらしく、著作権侵害になりかねんのでブログで全文を上げる訳にはいきませんが、それを読ませて頂いた結論だけを申しますと確かにこれは日本語版なにを言ってるのかさっぱり判らない。酷いものだ。

さてどうしたものか。著作権侵害にもトリックのネタあかしにもなるので本来ならブログなんぞで話すのは好ましくないんだけれども、このトリックに限っては既にインターネット上にタネの話がかなり詳細に公開されてるので、Aさんに安らかに眠って貰うためにもそのリンクを張りつつ周辺の正誤をちょっと書いていきましょうか。

現象

誤:

  • 組み合わせが書かれた紙の中から、観客がランダムに1枚を選ぶ。
  • 演者も1枚選ぶ。
  • 組み合わせが一致していたら始まり。
  • 第三の観客がコインを投げる。
  • 3回投げたところで最初の勝ちが来る。
  • およそ3:1の割合で演者が勝つ。  

正:

  • 組み合わせが書かれた紙の中から、観客がランダムに1枚を選ぶ。
  • 演者は組み合わせをひとつ言う。
  • 組み合わせが一致してしまったらやり直し。
  • 第三の観客がコインを投げる。
  • コインを投げ続けて、先に自分の組み合わせが出てきた方が勝ち。
  • およそ3:1の割合で演者が勝つ。

 

詳しい原理については以下のpdfを参照してください。原著では触れられていない数理についても詳しく解説されています。

http://www.osaka-ue.ac.jp/zemi/nishiyama/math2010j/penney_j.pdf

確率のパラドックス 大阪経済大学 西山豊

 

前書き

このマジックは、予知の臨床実験といった体裁で行います。簡単に言えば、娯楽性を有しつつも、あまり知られていない方法を使って“本物”のように演出するのです。

 これは臨床的な、試験的環境の下で行うスタイルの予知能力実験です。端的に言って、エンターテイメント性を念頭においた場合、このデモンストレーションには欠けている所があります。しかし埋め合わせに、この手順はまさしく『本物』の気配を持っており、またごく少数の人にしか知られていない手法を使っています。

 

後書き

実際のところ、良い反応を得ることができます。「もしこれが本当にうまくいくなら、それで稼いだ方が良いよね!」と言う話になります。

 事実、これはとてもうまく機能しますし、事実、「超能力が使えるっていうなら、それで賭でもしてみせろよ!」と言われたときのよい対応策です。

いまや本当にしてみせる事ができますし、それによって幾ばくかの金銭を得ることが出来ます!

 

これは強い印象を与える、劇場型のマジックではありません。しかし、実践的な予言、または直接的な効果、すなわち手順からして不可能なことを成し遂げているように見せられます。

この手順はドラマチックなインパクトにあふれた力強い『劇的な』現象ではありません。しかし、真に迫って見える非常に臨床的な『実験』であり、完全に公明正大な手続きの結果を予言した―――ないし結果に影響を及ぼした―――ように見えます。

 

手法

演者が行うことは、観客が選んだ文字列の最後の文字(表表裏であれば、裏)を、文字列の最初に置いた逆配列に組み合わせで書かれた紙を選ぶことです(この場合であれば裏表表の紙を選ぶ)。

 あなたがすることは簡単です。最後の文字を消し(つまり、HHT ならT を消し)、それによって新たに最後に来た文字の『逆』を先頭に加えるのです(私たちの例で言うと、つまり結果はTHH となります)。

 

 

『単語を第一語義で直訳し、ややこしいところは省き、内容の確認もしていないという様相ですけれど聞いたところによると訳者の方の英語力は私なんぞより遙かに高そうなので〆切が尋常じゃなく厳しかったか辞書無し聞き起こしリアルタイム一発翻訳にチャレンジしたか家族でも人質に取られていたというのが妥当な所ではないでしょうか。監修の方と出版社の方は訳者に全幅の信頼を寄せていたんでしょうたぶん。』

そうかもしれませんがひょっとしてAさんそんなノリで交渉したんですか。

それでもAさんによると東京堂はいちおう返事をくれて2版で直してくれるらしく、まあこのトリックに関してはそれで救われるかもしれませんが他のうずたかい誤訳の山は2版で直るんでしょうかねそもそも2版なんて出るのかしらね。

Bernsteinのファンを任じているAさんは非常に嘆き悲しんでおり、他にもここがどうにも判らないどうにも意味がおかしいって所があったら聞いてくれたら草葉の陰からそっと教えてくれるそうです。あのひと色々な原稿で忙しい筈じゃあとも思いますし、なにより死んでるんですが、ご本人が聞いてくれと言ってるんでどしどし聞くとよいと思います。返事がいつになるかは僕はちょっと保証しかねますけれども。


追記

他にAさんが見せてくれた面白誤訳をひとつ。 

彼から聞いた話のなかでも、特に忘れられない工ピソードがあります。あるとき、彼が目を輝かせながら、やや恥ずかしそうにアル・コーランの新しい本が入荷したか訊いてきました。私が「ありますよ」と答えると、彼の笑みが少し増し、そのコピーを貰っても良いかと尋ねてきました。

――メンタルマジック UNREAL p. 322

お店に来て開口一番「新刊ある? コピー貰えない?」とか本当にあった怖い客コピペかよ、ってエピソードに見えちゃいますがここでのcopyってのはいわゆるカタカナの『コピー(複製)』ではなくて、一部とか一冊という意味ですな。それから出だしですが、「彼から聞いた話のなかで」のはずなのに『私』も登場人物で出てくるのでおかしい。Aさんの正誤表によると正しくはこう。 

彼とは多くの思い出を分かち合っていますが、なかでも際立っているものがあります。ある日Georgeが目を輝かせ、恥ずかしそうな笑みを浮かべて、Al Koranの新刊は入荷してるかと尋ねてきました。私はあると答えました。彼は笑みをさらに少し大きくして、一部持ってきてくれないかと言いました。 

 

追記2

Aさんはさもバーンスタインのファンかのごとく振る舞っているがその実UNREALはわりと最初の方で積んぢまってるのである。いやだってただでさえ読みにくいのに、予言系の章に入ったら内容もいまいちになっちゃて、とは本人の弁。ただ読心術の章はめちゃくちゃ面白いですよってさ。

 

肥大した自意識と承認欲求のための手品翻訳のススメ

 皆さんは手品を、もちろん趣味として大いに楽しんでいるのだと思いますが、それでも時折、つらく感じる事はないでしょうか。練習しても技法が上手くならない、不思議な見せ方ができない、オリジナルな手品が作れない。私がそうです。周りが上手すぎてつらいです。かといって、周りの彼ら以上に努力するような根性もありません。

 ……それでいながら、コミュニティに承認して貰いたい、初めて合う人からも「あの××さんですか!」と敬意の目で見られたい、そんな欲求だけは人一倍に持っています。

 ああ、ろくに労力を掛けずそれでいて名声を得たい。ある日ふっと才能が開花したり、夢のようなアイディアが降ってきて、マニアも殺せるシグネチャー・エフェクト(※)がさくっと作れたりしねえものか。これは私の様に怠惰な人間が抱きがちな妄想で、宝籤を当てたいとか油田が欲しいというのと同じで、現実になることはまずありません。しかしここに、ひとつの抜け道があります。それが洋書翻訳です。筆者は手品的な実績も知名度もほぼゼロですが、ひょんな事から参加したある手品の集まりで「実は××を訳したのが私です」と明かすことによって、一切手品をしていないのに、並み居るマニア達から満場の拍手を受けた事があります。

 もちろん何の労力もいらないというわけではありません。ですが翻訳は、創造力の必要な他の分野と違って、労力を掛ければ書けた分だけ確実に進むという大きな利点があり、費用対効果がずばぬけて高い、言うならばうまい話なのです。私は既に多くの本を訳し、もう十分に名声を得ましたので、皆様には無料でその秘密をお教えします。

 

 さあ、貴方も作りましょう。シグネチャー訳業を!

 

(※シグネチャー・エフェクト その人の代名詞的な手順のこと。一級品の現象であることは勿論、演者と不可分に結びついており、まともな心のある人だったら恥ずかしくて自分のレパートリーには入れられないような手順です)

 

 

 という書き出しだけを勢いに任せて書いた。

 実はひとつ大きな嘘があって、「私は既に多くの本を訳し」という所は友人の話であって私にそのような実績はない。とはいえそれらの本の翻訳修正を割とかなり手伝ったりはしたので、完全に嘘というわけでもない。許して欲しい。

 訳されてしかるべき本はそう多くはないのだが、今のペースではとても追いつかないので、なんとか他人をアジってその気にさせられないかという目論見であった。このあと、訳すべき本の選び方や値段の付け方、翻訳時の注意や手品英語の頻出フレーズの訳例なんかをそれらしく書いてマジケかideasにでも出そうかと思っていたのだが(※)、Alpha碁の成長スピードが予想を超えているとか、Googleの新しい翻訳アルゴリズムとカメラでのリアルタイム置き換えなどのニュースに相次いで触れ、シンギュラリティも間近って感じで暢気に書いていると賞味期限が切れてしまうと思ったのでここで公開する。

 (※ 言葉のあやでこう書いてはいるが、心理的引きこもりなのでたぶん無理だったろう)

 

 この後の内容はまだ全然練ってなかったんだけれど、せっかくなんで形だけ整えて公開します。 

 

 

 必要なスキル

 実際のところ、英語力はそんなに要らない。たぶん。手品の洋書をそれなりに読めてれば大丈夫だと思います。英語力が足りなくても、ネットの辞書とか例文検索とかでかなり補えています。ただし辞書も使わなきゃただの紙束(パソコンも使わなきゃただの箱)ですんで、ちょっとでも気になったり引っかかりを覚えたりしたところを納得いくまで検索しまくるのが大事と思います。最近の手品本はスラングも割とあったりするのでUrban Dictionaryとか助かったりします(※)。

 そうやって逐一調べてると無限に時間が掛かってしまうんですが、そこがアマチュアの利点ですんで時給換算とかはしない。金銭欲ではなく、あくまで名誉欲でやっておりますので、はい。

  手品翻訳はマーケットが小さく、たぶんプロがやると採算が取れないんでしょう。だから東京堂のもやっつけ仕事は少なくないです。時間さえかければ、訳文のクオリティで上回る事は難しくはないです。

 

 日本語力は要ります。

 

(※ wheyの意味とかも教えてくれます。乳清ではなかった)

 

本の選び方

 色々と読んだ中から他人に教えたくないくらい面白かった本を訳すというのが有るべきスタイルだ、と知ってる人がのたまっていて、まあその通りなんでしょうが、そんな事しなくても世の中には訳されてしかるべきなのに訳されていない本というのが沢山あります。VernonとかAscanioとかElmsleyとか誰でも知ってる名前で、単巻で、短めの本が良いでしょう。ネームバリューだけで売れるし、訳すのも楽です。DarylとかCarneyとか狙い目だと思います。

 洋書を読むに際しては「カードやコインは簡単」「メンタルや理論は難しい」みたいな意見も(妥当性はともかく)ありますが、翻訳に際しては、細かい操作を文章で説明しなきゃならないカードやコインは相当面倒くさい相手で、原理や演出でなんとかしてしまうやつのほうが楽です。エキボックや話芸(ジョーク)については、そもそも原理的に翻訳不可能な事が多く悩ましいです。

 あえて言うまでもないですが、説明が上手い人の本は訳しやすく、説明が下手な人の本は訳すの大変です。あと文章が上手い人の文は訳すの非常に難しいです。

 

値段の付け方

 時給換算すると完全に赤字ですが、商売自体は固く、そうそう赤字にはならないと思います。よくわからないものでもとりあえず買う、という奇特な方が手品界隈にはそれなりの数います。いるそうです。又聞きですが、どんなものでも200部くらいは売れるとか。さらに翻訳の場合は、訳者が無名でも原著者のネームバリューを利用できるんでだいぶ楽。

 一般書籍はソフトカバーなら2000円くらい、ハードカバーで2000~3000円くらいが相場ですが、手品洋書はもともと$40~60くらいするので、為替も考慮してマニア相手で6000円くらいまでなら許容されるでしょう。このなかでうまく利益と費用のバランスを取らなくてはいけません。費用の大部分は版権料と印刷費です。ショップに卸す場合はその分も加味しないといけません。卸値はショップ売価の50~60%ぐらいと聞いたことがある気がしますがよく知りません。

  

版権料

 版権者に尋ねましょう。海賊出版ダメ絶対。相場はよく知らないのですが、予定総売り上げの10~20%くらいでしょうか。定額の所もありますし、元々が自費出版だとタダ同然の事もあると聞きました。それから個人として交渉すると信頼がないのでやや辛めです。コネがあるところから頼むと端金で済むこともあるようです。うらやましいですね。

 予定部数や売値などの情報はきちんと伝えたほうがよく、というのも向こうの人はこちらの市場の狭さをしらないので、数千部くらい刷るという想定で条件をふっかけてきたりします。

 

その他

 結城浩氏の「数学文章作法 基礎編」「数学文章作法 推敲編」はおすすめです。

 

 まあこんなところですか。

 AIの成長スピードは凄くて、少なくともこういった技術書的な内容の素人翻訳は遠くない未来に機械に取られちゃうんだろうが、まあそれ自体はありがたい話です。それにまだあと数年は大丈夫と思うんで、皆さん思い出作りに一冊どうですか。逆に言えば、完全自動化される直前で翻訳アシスト機能が最高に充実してる時期ってことなんだし、いましかないっすよ。

  

おまけ:最近気をつけるようになったこと

・冠詞

 In this trick, the card becomes invisible.

 このトリックでは、カードが見えなくなります。

 →このトリックでは、選ばれたカードが見えなくなります。

  冠詞は難しくて全然わからんのですが、定冠詞theが付いている場合は、文脈に応じて「選ばれた」などで具体性を補った方が誤解の無い日本語になる場面も多いようです。不定冠詞aの時は、「1枚」や「なんでもいいので」を補ったりすることがあります。

・複数形

 Take Aces.

 エースを取れ。

→エースのパケットを取れ。

  文脈次第で「残りの」「他3枚の」「パケット」とか補って複数感を出します。冠詞や複数形は日本語にないのでいつも困りますが、補いすぎるとモッサリしてしまうのでそれはそれで困りものです。

・語順あるいは代名詞と本体の距離

 ...he told me that the most important point of this trick is miscall. It’s….

 ミスコールがこの手順で一番重要なのだと彼は教えてくれました。これは

→彼によれば、この手順で一番重要なのはミスコールなのだそうです。これは……

  例が微妙ですが、英語と日本語は文法が違っているために、翻訳すると語順がけっこう変わります。ところが次の文が前の文末を受けていることがあって、そういうときは重要になる単語とそれを受ける次の文の距離を離さない方が、文章の繋がりが保たれて好ましい場合があります。

・台詞

“...and then all the faces of the other cards become blank”

 「 ……そして、他のカードは表がみんなブランクになってしまいます」

→「 ……そして、他のカードは表がみんな真っ白になってしまいます」

  気を抜くとやってしまいがち。手品のジャーゴンは地の文では使って良いが、観客に向けた台詞内では使ってはいけない。

 ・文量

 It’s simple.

 それは単純なことです。

→単純です。

  日本語にすると主語とか文末とかでどうしても長くなりがちだけど、原文が短かったら日本語もスパッと短くする方がよいと思う。もちろん元が長かったら長く訳す。

 

ソフト・スリービングの進捗

・GLiM vol.1 no.4:On Soft Sleeving

Essential Sol Stoneという本があって、そこでSoft Sleevingという技法が解説されている。著者のStephen Hobbsによれば全く気配のないスリービングであるらしい。にわかには信じがたいのだが、同書の他の手順などを読むにつれ、Sol Stoneならあるいは本当に気配なくスリービングできるのでは、と思えてくる。

そんなわけで折を見て、ときどき、稀に、練習している。今のところまだまだ気配が出まくりなのだが、幾つか気付いた事があるのでそれらをメモしておきたい。なお私はスリービング界隈には詳しくないので、それぞれ既存だった場合はご指摘願いたい。また「そもそも原著にそう書いてあるじゃん」ってな事があったらそれもご指摘乞う。

 

さて、Soft Sleevingはどうやら映像になっておらず、文章での解説のみからその理想型を想像しなくてはならない。特にこの本では、ほとんど最低限の手続きしか書かれていないのだ。こういった場合、その技法に固有の利点、もうすこし咀嚼して言うなら、このコインの持ち方、飛ばし方に固有の利点を探ることで、原案者の意図を把握するのが重要と思う。

以下、次の五項目について記述する。

  1. 人差し指
  2. 45°の手
  3. 力加減の正否判定
  4. ピボット・バニッシュ
  5. フィンガー・パーム

 

Index Finger 

大きな特徴は、この手法が中指ではなく人差し指を使う事である。この利点として、他の指がつられにくいという事が考えられる。人差し指は親指に次いで独立性が高い。

スリービングの動作自体は中指でも問題なく行えるが、ほぼ不可避的に薬指が連動してしまう。そして薬指は技法に対して何ら機能を果たしていないので、言ってしまえば無駄な動作である。

なお指が繋がっているために困るといえばピアノで、調べると指の腱間結合を切ってしまう人もいるとかいないとか。(なお現在では解剖学的な要因だけでなく、神経心理学的な要因もまた大きいことが分かっているらしい)*1

 

45 Degree Sleeving

スリービングというと、手の甲を天井に、手の平を床に向けた状態で行うイメージを持っていた。しかしどうもそうとは限らないらしい。手の平を真下ではなく左斜め下45°の角度にし(※右手で行う場合)、腕も内側に向ける。つまりちょうどフェイク・パス直後の状態である。ここで普段通りにスリービングを行うと、これが割と素直に入ってくれる。これはSoft Sleeve Short Routineでの用例である。

コインの軌道が露見しやすくなること、軌道に角度がつきすぎると袖が揺れてしまうこと等がデメリットだが、手の動き自体は少し減りそうだ。

これ自体は特にスリービングの種類を問わないが、Soft Sleevingであれば中指~小指によって人差し指の動きを観客の目から遮ることができないだろうか。これまで練習してみた限りでは、十分なカバーとしてはちょっと機能しなさそうなのだが、もう少し検証してみたい。

 

Soft Sleeve Practice

正解の見えないSoft Sleevingだが、練習の目安をひとつ見つけた。One-Hand Spectator Sleeve Changeという、観客に手を捕まれた状態で(言葉での説明が難しいが観客の親指を握るような形になる)スリービングを行うちょっとどうかした手順がある。たしかCoin Magicにも収録されているはずだ。

裏を返せば、この状態で観客に気付かれない力加減という事である。

というわけで、練習の時はたびたび自分で反対の手の親指を握ってスリービングし、力が入りすぎていないかの目安にしている。

 

with Pivot Vanish

Soft Sleevingに固有の利点を考えるにおいて、Sol Stoneの他の技法や手順との相性を見るのもひとつの方法である。たとえばPivot Vanishとの相性が考えられる。Sol StoneはPivot Vanishを好んでいたようだが、その消失後のコインのポジションはSoft Sleevingの開始ポジションと非常に近いように思う。

Pivot Vanishからシームレスに繋げるために、あのポジションになっているのかもしれない。

 

with Finger Palm

もうひとつの可能性として、人差し指だけで技法が行えるため、フィンガー・パームのコインと干渉しにくいのではないか、という事が考えられる。実際Soft Sleeve Short Routineにはこういった場面がある。

 

 

そんなわけで試行錯誤のSoft Sleevingである。今回は指先の話に終始したが、原著では他にも腕や手の平の角度、動きについても記述があり、それらの意図なり効能なりがまだ十分につかめていないので、先は長そうだ。

ともあれ、なんとか会得したいものだが、そろそろジャケットが着られる季節ではなくなってしまうのが悩みどころだ。

*1:ピアノにおける指の腱間結合と、神経心理学的な話については次のページで見た。

ブルース・バーンスタインのUNREALが訳されてしまった

「ブルース・バーンスタインUNREALが訳されてしまった」と複雑な表情で言っていたAさんが、先日また「ブルース・バーンスタインUNREALが訳されてしまった」とこぼしてきた。 

 最初のとき複雑そうだったのは分かる。UNREALはBruce Bernsteinという人の書いたメンタリズム本で、彼も買った当時ずいぶんほめていたから、それが日本語になって広くシェアされるのが面白くなかったのであろう。度量の小さいことだ。

 だが何でまた同じ事を嘆くのだ。訊くと、ファイルからA4の紙を2枚取り出した。ひとつは『行間を読む』と題されたエッセイの冒頭で、問題になっている本をコピーしたものらしい。もうひとつはその原文と思しき"Reading Between the Lines"というエッセイのこれも冒頭部分だ。

行間を読む

私の作品に興味を持ってくれてありがとうございます。世界中の演技者が、観客の大小にかかわらず、私の作品を演じてくれることを私は本当に光栄に思います。 

Reading Between the Lines

Thank you for your interest in my material. It is truly an honor to know that performers the world over have studied, and better yet, have regularly performed my creations for audiences big and small.

 アンダーライン+文字色赤で示した箇所が省かれているが、まあ大意は間違っていない。ふんふんと読み進める。 

私は、演技と指導も楽しみながら行い、それがまた私の創造性を刺激します。新しい現象や技術、改案、またはちょっとした方法の違いによって演技が大きく変わります。しかし、演技者が実際に演技する中で重要なことは、“現実の世界”で何が求められ、必要であるかを認識することです。

 And although I enjoy performing and consulting, it's the drive to create that obsesses me. Coming up with a new effect, a different approach, a subtle technique, or sometimes even just a little touch that seems to makes the difference, is what I consider my greatest skill.

However, it's important for those of us who operate behind the scenes to realize that performers who work in the "real world" have needs, want, and requirements that must be understood. Creators often(略) 

なにやら雲行きが怪しくなってきた。まずアンダーライン+文字色赤が省かれているし、そもそも文章の意味が違っていやしないだろうか。原文は私にはかなり晦渋で、まるで自信はないのだが……。

  • 演技やコンサルトも楽しいが、私の本分はクリエイト
  • "現実の世界"で演技している人々には種々の要望があり、それを理解するのがクリエイターにとって大事

ってことではないのか?

Aさんを見ると、まあそんなところでしょうねえ、と言いつつも歯切れが悪い。何かと聞けばそれ以前に『ですます調』が気に入らないのだそうだ。面倒くさい人だ。「いやね、この人は後で自分でも言ってるんですが、もっとエゴの強い、傲岸で不遜な感じの人なんですよ」そう言ってAさんは隠し持っていた紙束を出してきた。どうやら耐えられなくなって自分で訳したものらしい。暇なのだろうか。

あなたは確かずっと取り組んでいる原稿があって、多くの人を待たせているのではなかったか、と私が言うと、Aさんは青菜に塩をかけたかのごとく、見る間にしおしおと縮んでいったが、それでもか細い手を伸ばして、分かったからせめてここだけも読み比べてくれと言う。同じエッセイの、少し下ったところだ。

口ス・ジョンソンは優れたメンタルマジックの演技者です。ステージ上で、彼は優雅に演技を行いますが、それだけでなく彼はビジネスの面で“細かい”ことに気づく人物でもあります。以前私が卜二一・アンドルジーのlnvocationalsで演技をしたあと、口スとその演技に関して会話したことがあり、そのことが私の演技をより良くしてくれました。そのとき、ステージ上で私は“過去、現在、未来”をテーマに演技しました。

(時間の問題を過去、論理的な新聞紙の予言を未来、そして、観客の持っていたものを当てるサイコメトリー・リーデインクを現在のテーマとして演じました)

その後、口スは時間の問題が好みだ、と言ってくれたので、私はその秘密を教えようかと言いました。それに対して、彼は、それはポケットに入れておけるようなものか? と訊いてきました。私はなぜそんなことを訊いてくるのかと、混乱したものの、そのあとすぐに、彼が私の方法をより良くしようとしていることに気づきました。彼がマジックを演じるときは、スーツの外見が崩れない限り、道具をポケットに入れて舞台に上がります。

私はそれに気づいて衝撃を受けました。現象はその方法だけで成り立つのではなく、さまざまな要素が取り入れられて成り立つことを、彼がわかっていたためです。

Ross Johnsonはこれまで"メンタルなもの"を演じてステージを飾った人々の中でも、最も優れた演技者のひとりだ。そしてRossは偉大な演技者であるだけでなく、業界でも有数の『細部に目が利く』人間である。Invocationals(※)のある回で私が演技を終えた後、私とRossはその日の私の演技について雑談をしていた(演技は上々だったと私は思っている)。私のステージは『過去、現在、未来』という主題をなぞるもので、極めて好評だった(過去として"A Matter of Time"を、未来として"Logical Newspaper Prediction"を、そして現在として、その場で観客たちから持ち物を借りて"Psychometory Reading"を演じた)。

※Tony Andruzziが主催していたコンベンションの名前

 

"A Matter of Time"が気に入ったとRossが言ったので、私はすぐさま、秘密を教えようかと申し出た。彼の返事は、ポケットに何か入れる必要があるだろうか、という問いだった。最初、私は少し困惑した。どうして第一声でそんな事を尋ねるのかと。私はそれを、彼は手法についてカマを掛けているのだろうと理解した。

私の困惑を見て取った彼は、ポケットのスペースが重要なんだと続けた。演技をするときは、もうスーツのアウト・ラインが崩れない限度までポケットに道具を入れているから。 

まるで雷に打たれたような衝撃だった。良いトリックとは、ただ手法だけでなく、様々な要素によって出来ているという事に気づいたのだ。Rossは100%的を射ていた。

 

Aさんの訳が正しいのかどうか、私には判断できない。しかし少なくとも、前者の訳文がまずいことは分かる。特にポケットのくだりは意味が通っていない。Bernsteinは微妙な言葉遣いを利用したトリックも多かったはずなのだが、エッセイがこの調子ではそちらも推して知るべしだろう。「そんなに悔やむなら先に自分で訳せばよかったねえ」と私が言うと、そうですねと虚ろなAさんの声が聞こえた。顔を上げると、もうそこにAさんはいなかった。きっと原稿をしに帰ったのだろう。なおAさんは架空の人物であり実在しない。