七咲逢について考えていること/僕たちの知らない七咲

 どうにも色々なものが楽しめず手にも付かぬ日々が続いているので、ここらでひとつリハビリとして七咲のことを書こうと思う。本稿を書くにあたって、然るべき裏取り、つまりアマガミSSの再視聴をほぼしていない。いまアマガミSSを観て面白く感じられなかったら、ちょっと本当に立ち直れない気がするからだ。内容に致命的な誤りがあったら、お手数だがご指摘いただけると助かる。

 

 橘純一から見た七咲逢アマガミSSのメインカメラに映った七咲逢がいったいどういう少女であったのかは、前の稿である程度明らかにできたと考える。家事に部活にと頑張る彼女は、しかし勉強や人間関係などで明らかに無理が見えてきており、破綻寸前の危ういところだった。橘君と出会って、彼女は段階的にそれらから解放される。その解放の象徴が、作中で2度行われたヘンシン(変身=変心)のシーンだった。

 これで七咲逢と橘純一の物語はおおよそ見通せるようになったが、七咲編にはまだ不可解なシーンがいくつも残されたままだ。それらは本筋の理解には関わらないが、無視するにはあまりに大きすぎる。本稿ではそれら残った謎を整理し、そして解消することを試みたい。

 

 まず分かりやすく未解決なシーンは絢辻詞にまつわるものだ。図書室で勉強をしているところに偶然絢辻がやってくる。橘は二人を紹介するが、このときの二人の様子は実に不自然だ。七咲は最初、近づいてくる絢辻の方を見ていたのに、いざ紹介される段では、自分の名前が出るまで微妙に目をそらしている。絢辻は七咲を値踏みするようにじっと見つめるし、七咲もそれを受けとめ、一瞬眉をしかめる。少しの緊張。けれど場面はこれでおしまいで、絢辻は「七咲さん、橘君にしっかり教えてもらってね」とだけ言って去って行く。本当に不可解なシーンなので、よければ今すぐにでも該当箇所を視聴してもらいたい。

 しかも、このシーンには続きがある。最終話、水泳部の屋台でおでんを売っているところに絢辻がやってくる。酔い潰れた高橋先生を回収してもらい、そのお礼におでんを渡す。表向きはそうなのだが、少し遠慮してみせる絢辻に、七咲が目で訴え、そこで何らかのこわばりが解けて、おでんが受け取られるのである。この見つめ合いが、図書室のシーンと対応していることは明白である。

 図書室でも屋台でも、同席している橘(≒視聴者)には分からない表面下で、何らかのやり取りが行われている。けれどその内容が分からない。絢辻と七咲はそれほど親しいとも思われないのである。図書室では互いに初対面といったふうであったし、その後もとくに関わり合いはなかったはずだ。

 

 さて屋台の話が出た。屋台は七咲編のもうひとつの謎、水泳部にまつわる謎の、最も極端な表れだ。創設祭で七咲と橘は水泳部のおでん屋台を切り盛りする。一年生の七咲と、完全に部外者の橘が、水泳部伝統の屋台を、ふたりだけでだ。どう考えても異常である。アマガミSSではよく異常なシーンが発生するが、それは恋にのぼせた主人公とヒロインふたりだけの世界であったり、あるいはカメラの切り取り方や演出の工夫によるものがほとんどであって、常識的な基準を極度にねじ曲げるようなことはあまりない。しかしここでは水泳部という組織が、さらには創設祭という外部に開かれた場で、なお異常なことを行っている。茶道部からも「伝統ある女子水泳部の屋台になんで男が居るんだ」と突っ込みが入るわけで、作中の基準に照らしてもやはりおかしいのである。この『水泳部のおでん』は別ルートでも特別な扱われ方をしており、伝統のレシピをなぜか一年の七咲が引き継ぐことになる。もちろん水泳部のおかしなところと言えば、そもそも覗きでしょっ引かれたうえに、競泳水着に抑えられた控えめな胸の素晴らしさを全員の前で力説した橘が許された感じになっているのもおかしい。あの場が勢いで流れただけならともかく、その後、創設祭で店番まで任されるのだから、言ってしまえば水泳部公認の仲なのである。七咲編はとりわけ異常なイベントが乱発されるので感覚が麻痺しがちだが、少人数のプライベートでの逸脱と、組織の公共空間での逸脱はまったく話が違う。水泳部は明確におかしい。

 以上が七咲編の、ことさらに未解決な場面である。橘純一から見た七咲逢のことはおおむね理解できたが、それは七咲の一面でしかないらしい。絢辻詞から見た七咲、水泳部から見た七咲はどういった人物なのだろう。我々の手札にあるのは、メインカメラ(≒橘視点)に偶然映り込んだ断片的な情報だけであり、そこから推測していくしかないのだが、ここでまだ未検証の視点がある。本編において七咲逢と深く関わる登場人物がもうひとりいる。誰あろう橘美也だ。

 

 さてちょっと、いやかなり話が飛ぶのだが、ガールズ&パンツァーというアニメ作品がある。超有名なので知らない人もいないだろうが、その主人公チーム5人は非常に個性豊かだ。なぜそうなのか。もちろん主人公チームだから個性的でなくては作劇の上で困るのだが、この作品ではちゃんと作中に補助線が引かれている。つまりチームのひとり武部沙織という少女がとても世話焼きで、孤立している変な子を放っておけない性分なのだ。さらに武部沙織のそういった性分にもまた理由があって、彼女はとびきり変で孤独な子、冷泉麻子と幼なじみでずっと世話を焼いてきたから、似たように変な、そして寂しそうな子を放っておけないのである。この武部沙織の特質は作中で強調されたりはしないが、キャラクタ同士をしっかりと結び付け、物語の根底にある人間関係を自然なものにしている。素晴らしいキャラクタ造形である。

 で。何が言いたいかというと、あるキャラクタが仲良くなる相手には、何らかの共通項がある場合がある、と言うことだ。美也の話に戻る。夏に学期途中で転校してきて、冬になった今もクラスに馴染めない中多紗江を、美也は大いに構う。その構い方はちょっと行きすぎているようにも見えるが、中多紗江の方もまんざらではないようで、ふたりはほとんどいつも一緒に居る。実は美也もクラスで孤立していて、はみ出し者どうし慰め合うようにセットになっているのでは、という悲しい想像もできるが、いや美也は兄の前でこそあんなキャラクタだが、文化祭でクラスの出し物を主導し、その劇でメインキャストを演じたりしているのだから、クラスで主導的かつ愛されている人物とみていいだろう。美也の方から積極的に仲良くしているのだ。思えばゲーム版のオープニングでも、兄・橘純一に対して高校一年生らしからぬ深い気遣いを見せていた彼女だ。新しい環境に馴染めない中多紗江を構うのは自然に思えるし、本稿では踏み込まないが、中多紗江は単に内気ゆえに馴染めないのではなく、前の学校で何事かあったようであり、ならば美也にとって、紗江もまた兄と同じく傷心を抱えた者でもあるのだ。さて、そんな美也が中多紗江と同じく仲良くしているのが七咲逢だ。だから同じく、七咲逢もまた孤立し、何かしら傷心を抱えていると考えてもいいのではないだろうか。

 

 これだけでは根拠として弱いが、考えるきっかけとしては十分だろう。七咲は孤立していたとする。ではどうして? 直接的な手掛かりは見当たらないが、周囲の七咲への接し方から逆算はできよう。改めて、順に見ていく。

 まずは図書室での絢辻との場面だ。橘から紹介されたあと、絢辻は七咲をじっと見つめる。優等生モードの絢辻は初対面の下級生に対してこんな不躾な事はしないはずだが、ここではしている。そうしていい相手ということだ。では、ふたりはこの時点で既知の間柄だったのだろうか? しかしそうであるなら、橘に紹介されるまでもなく話しかけていいはずだ。橘から紹介されて初めて、このような態度をとるのである。整理すると、絢辻にとって七咲は『初対面で睨め付けてもいい』相手、そして『顔は知らないが名前は知っている』相手ということになる。ここに先ほどの、七咲が孤立しているという仮定をあわせて考えると、つまり絢辻は七咲のことを『悪い評判』で知っていたのではないか。

 そう考えると、絢辻が威圧するように見つめ、そのあと猫撫で声で「七咲さん、橘君にしっかり教えてもらってね」と言ったのも、「お前ちゃんと大人しくしていろよ」と圧を掛けているように見える。橘が絢辻を紹介したときに「うちのクラス委員長の絢辻さん」と役職付きだったのも、橘に特別な意図はなかっただろうが、この場面の絢辻・七咲の力学に影響を与えているだろう。この見立てに沿って対になるシーン、創設祭でおでんを渡す際のやり取りを考えると、今度は七咲の方から「自分はもう大丈夫だから」と目で伝え、絢辻がそれを受け入れた場面としてうまく説明がつく。

 

 さて七咲の『悪い評判』と言ったが、現在進行形の不良でないことは明白だから、過去になにか問題を起こし、その更生途上にあると考えるべきだろう。そうすると水泳部との関係もはっきりする。水泳部は、もちろん塚原響が主導してだが、七咲を保護しているのである。七咲に打ち込むものを与え、集団行動やボランティアをさせ、ヤバイ彼氏(橘)がプールに闖入しても許容する。あの子は今が大事な時だからどうか支えてあげて、とでも塚原は言ったのかも知れない。そのあげく、創設祭では伝統の屋台をこのバカップルに任せてしまうのだから過保護と言っていい。七咲が橘と付き合わなかったルートで、伝統のおでんレシピが一年生の七咲に託されたのも理屈は同じだ。庇護者である塚原響は、自身が卒業して面倒を見れなくなった後でも、七咲がうっかり水泳部を辞めてしまわないよう、責任ある役職、特別な立場を与えることで縛ったのだ。橘と付き合うルートでレシピが託されなかったのは、橘に依存するかたちで立ち直った七咲は、もう水泳部に依存させる必要が無かったからだ。

 

 そう考えてみると、そもそも橘純一が出会った頃の、「七咲はすごいよなあ。それに比べて僕は……」と思わずこぼしてしまう、あの澄ました顔で全方位的に頑張っていた七咲は、品行方正・文武両道であろうと無理をしていたのかもしれない。頑張りが綻び始めていたのも、それが某仮面優等生とは違い、生来の能力に見合ったものではなかったからではないか。またあるいは、体育館裏で再会した七咲が、自らスカートをたくし上げて橘をからかったのも、お行儀よくしているストレスに対する反動で、自身の体をわざと性的にぞんざいに扱う自傷的な行為であったのかもしれない。

 七咲が起こした問題が具体的にどういったものであったかは、手がかりが少なすぎて何とも言えない。ただ絢辻が七咲に直接釘を刺すようなことを言っているので、周囲が気を遣うと言っても、身内の不幸とか親との不和といったものではなく、七咲自身に一定の非があること、一方で水泳部の女子一同からかなりの程度の理解と同情を得られているらしいことから考えるに、たとえば異性絡み、悪い男にでも引っかかったのではないか。橘と出会った当初に、彼をセクシャルにからかう様子が妙に手慣れていたことも、そう考えれば辻褄が合うかもしれない。だがまあ、具体的な手掛かりを見つけられない以上、これはどこまでも妄想の域を出ないものであるから、ここらでやめておくとしよう。

 

 これで七咲のことがだいぶ分かったのではないか。前稿では橘純一との物語を、本稿ではそこに至るまでの、橘純一からは見えなかった七咲の背景を、ある程度まで明かせたのではないかと思う。七咲は何か、それなりに大きな『問題』を起こし、更生の途上であった。塚原響は水泳部を挙げてそれを助けていたし、一方で絢辻は警戒もしていた。美也はその孤独を放っておけなかったし、兄の純一はといえば、そのあたりがこれっぽっちも見えておらず、「部活も家事も頑張って、ボランティアまでして、七咲はすごいよなあ!」なんて暢気に感心していた。けれども、倒れそうな彼女をいちばん近くで支えたのも彼だったのだ。……まあ橘が居なくても、それはそれで立ち直っていた七咲ではあるんだけれど。

 さて、書くことはこれで尽きた。そういやゲーム版アマガミの出会いイベントでは結構グレてる感じのヤツもあったよね七咲、とかそういう話もあるが、本稿はアマガミSSの話なので深入りしません。本稿を読まれた方が七咲逢という少女ついて、改めて思いを馳せてくれたなら、これ以上の喜びはない。それでは。