桜井梨穂子について考えていること

 2019年の冬は桜井梨穂子のスキ・ルートを進めている。これを書き始めたのは2019年の12月10日で、12月25日に向けて徐々に書きあがっていき、年内に完成する予定である。そうであればいいなあと思っている。

 

 最初に結論を書いておく。もしアニメのアマガミしか見たことがないのなら、是非ともゲーム版のアマガミをやってほしい。特に桜井梨穂子中多紗江については。できればネタバレ無しで彼女らの魅力を伝えたかったのだけれど、筆者の力不足ゆえにそうはなっていない。だから、いますぐブラウザを閉じてゲーム版アマガミをやって欲しい、というのが本音ではある。まあいずれにせよ――、

 

 アニメ・アマガミSSにおいて、中多紗江と同じくらい不遇をかこったヒロインが桜井梨穂子だ。中多さんが謎のナレーション芸でコメディになってしまった一方、梨穂子は橘君に代わって主観人物に据えられたがため、彼女自身の内心をあまり持てなくなった。それに伴って彼女の恋模様も、彼女自身のパーソナルなものではなく、茶道部の行く末という周辺的な問題とその解決によって表されるものになってしまったんである。もちろん6人ものヒロインをほとんど同じ時間・空間のスケールで描かざるを得ない以上、描写の仕方にバリエーションをつける必要はあるのだけれど、その中でも特にこの二人が大きな改変の対象になったのは偶然ではない。アニメ・アマガミSSでは原作アマガミが良くも悪くもアク抜きされているのだが、まさにこのふたり、桜井梨穂子中多紗江は、そのアクの部分こそが、ゲーム版のキャラクタ・ストーリーの根幹にあるのだ。

 

 ゲーム・アマガミはシステムもキャラクタも非常に真摯に作られており、それゆえちょっと(かなり)人が悪い面がある。アマガミは複数のヒロインが同じ時間・空間に存在していることに自覚的であり、だから表ではたいへん願望充足的な甘いラブコメを展開しながらも、たとえばその裏で、攻略対象として選ばず疎遠になったヒロインたちがいま何をしているかを見ることができる。そこで彼女たちは(当たり前ではあるのだが)彼女たちの青春を別のかたちで存分に謳歌しており、プレイヤーは難攻不落で有名だった高嶺の花の先輩が、さっぱり良さのわからない一年生の男子と付き合い始めるところや、後輩の水泳部女子が一年生ながら大会メンバーに選ばれている(彼女とのルートではスランプで代表落ちしていたのに!)ところを目撃することになる。

 こういった真摯さはキャラクター造形に関しても同様で、表向きは分かりやすいキャラ付けのされたヒロインたちは、その裏に何か生々しいものを秘めており、ふとした瞬間にそれが噴出する。たとえば悪友、棚町薫だ。飄々として、でも友人思いで、気遣いもできて、ヒロインの中でいちばん成熟している彼女ではあるのだけれど、しかしデートで遊園地に行ったとき、着ぐるみのマスコットが池に落ちて溺れ藻掻いているのを見て大笑いする。もちろん彼女はそれが演出であると信じ切っているのであり、本当に事故と分かっていればそんな対応は絶対にしないだろう。それでも僕は、僕らは、そのシーンの薫の振る舞いにちょっと距離を感じてしまう。また二股状態でヒロインがカチ合ってしまうイベントや、ヒロインと敵対してしまうイベントもあり、そこでの彼女らの立ち居振る舞いは、伝え聞くだけでも心に悪い(発生させるのが物理的にも心理的にも難しいので私はほとんど見ておらず、ほぼ伝聞でしかないのが)。

 こういったアクの部分が取り除かれているので、アマガミSS棚町薫は非の打ち所がないできたヒロインだ。でもアクの部分こそが、キャラクタの根幹、ストーリーの要点にある場合はどうすればいいのだろう。中多紗江桜井梨穂子の場合が、まさにそうなのだ。

 

 中多紗江は下級生で、引っ込み思案で、異性慣れしておらず、箱入り娘で、夢見がちで、とソレっぽい要素をこれでもかと詰め込んだキャラである。いや、少なくとも最初はそうなのだが、ゲームでの彼女はすぐに恐ろしいまでの積極性を発揮して、主人公にぐいぐいと迫ってくる。しかもタチの悪いことに、プレイヤーにはそれが彼女の勘違いに過ぎないことがはっきりとわかるのだ。頬を上気させ、目を潤ませてじっと見つめてくる彼女が、実際には理想の王子様を妄想し、それを橘君に投影しているだけということが手に取るようにわかる。だから彼女からの熱烈なアプローチをただ楽しむことはできなくて、いや冷静になれ、君はのぼせ上がっているだけだ、橘くんはそんないい男ではないぞという気持ちがどうしても湧いてくる。

 このパートの橘君はとりわけ優柔不断で、及び腰で、酷い男のように描写される。だからプレイヤーの中多さんに対する心配はいや増すのだが、これはよくできた脚本だ。橘君は恋愛にトラウマがあり、「今年こそは」と一念発起したとは言え、他者から迫られることには全く慣れていない。だから中多さんからの過分な好意に大いに当惑している。しかし彼のコンプレックスや当惑をプレイヤーがそのまま共有するのは難しい。そこであえて橘君の駄目な側面を強調し、中多さんの恋心に対するプレイヤーの不安を煽る。方向性は違えど、ここで橘君の当惑と、プレイヤーの当惑とがシンクロするのだ。こんなにも迫られるのは不安だ、この恋は危うい、なんなら間違っているという思いがシンクロする。彼女の好意につけ込んでいるような罪悪感、このまま付き合ってもすぐに幻滅されるだろうという不安が共有される。見事な仕掛けである。

 ……もちろん誰だって、相手の『本当の姿』を知ることは出来ないし、大人ぶって相手の気持ちを嘘だと決めつけるのだって傲慢だ。お互いが相手の『虚像』を見ていることを受け止めて、それを乗り越えていくだけの覚悟を持てるかどうかが、中多さんスキ・ルートのテーマだ。ぜひプレイして、BESTエンディングを見てほしい。

 

 では桜井梨穂子はどうだろうか。彼女は主人公の橘君にずっと思いを寄せてる幼馴染であり、これもまた一見すると非常に類型的なキャラ付けである。そして中盤までの梨穂子は、テンプレート通りのほんわか幼なじみキャラであり続ける。

 しかし彼女も、不意にそのレールを外れるのだ。その契機となるのが、橘君が痴漢冤罪(的なこと)で女子に囲まれ糾弾されているのを救う場面である。これまでのノホホンとしたキャラからは想像もできないのだが、梨穂子は果敢にも女子グループに割って入り、辛抱強く誤解を紐解き、なんと誰も悪者にせず場を納めて、橘君を救ってしまう。

 おいおい、梨穂子、おまえはそんなに頭が良かったのか? そんなに機転が利き、社会性があったのか? 早道しようとして金網の穴にひっかかり、「あなたが助けてくれなかったらあそこで一生を終えるところだったよ~~」なんて言っていたおまえが? 梨穂子の新たな一面に、プレイヤーはなんだか落ち着かない気分になってくる。僕が梨穂子を守るのであって、その逆じゃないはずだぞと。さらに追い打ちを掛けるように、橘君が「昔もこんなことがあったな」と梯子を外してくる。この出来事にかくも当惑しているのは、プレイヤーだけなのだ。

 これまで橘君は、梨穂子からどんなに好意を向けられても「でも梨穂子は幼なじみだから」とまともに取り合おうとしなかった。プレイヤーにはそれがもどかしかったし、なんなら理解不能だとすら思っていた。けれどプレイヤーもまた、梨穂子を単なる『幼なじみキャラ』の枠で見ていたし、彼女がその枠から外れそうになったときに拒否反応を憶えてしまうことが、このイベントで突きつけられる。梨穂子をまともに取り合っていないのはプレイヤーも同じだったのだ。

 このイベントと前後して、梨穂子はこれまでの彼女の『キャラ』にとらわれない色々な姿を見せるようになる。これは梨穂子の側の変化ももちろんあるが、それ以上に、橘君の認識の変化を反映しているのだろう。彼が頑なに抱いていた『幼なじみ』という枠がとうとう緩んだことで、突如として、これまで見えていなかった彼女のいろいろなディテールが目に飛び込んでくる。それをプレイヤーも体験しているのだ。

 梨穂子編は橘君が『幼なじみ』をひとりの女性として捉え直す話であり、同時にプレイヤーが『キャラ』をひとりの女性として捉え直す話でもあるのだ。

 

 これらがゲーム版アマガミ桜井梨穂子中多紗江のキャラクターのあらましだ。アニメ・アマガミSSとはひと味もふた味も違うことが分かってもらえただろうか。どちらが正解というものではないが、よければゲーム版をプレイして、彼女たちの違った一面も見てもらえたらと思う。さらにゲーム版アマガミにはまだいくつものルートがあり、それぞれがキャラクターの別の側面に光を当てる。かくいう私も見てないルートやイベントがまだまだ沢山あるので、これからもっと深く、彼女たちのことを知っていけたらと思う。